厚木市の小町緑地に行きました。小野小町に縁のある土地だと言うことです。川の向こうい小野神社というのもありまして、こちらの祭神は日本武尊。記紀神話の神器草薙剣が出てくる話の舞台がこの辺りだとか?そちらはまた別の機会に。
下手に説明の看板が立っていました。
小町神社
平安初期の歌人として、また美人として有名な、小野小町の出生地と言われています。これが小町姫を祭る小町神社です。毎年4月21日が祭日になっていて、かつては近在からの人出で大いに賑わったようです。
鎌倉時代、源頼朝の側室丹後の局は頼朝の子を身ごもったことから、政子に恨まれて処刑されそうになりました。それを命じられた畠山重忠(鎌倉初期の武将)の家人本田次郎が心を翻して局を連れて、難波(大阪)へ逃げるという事件が起こりました。
しかし、一説では、地元の豪族愛甲三郎季隆が局をかくまって、この山里に住まわせたと言い伝えられています。丹後の局は政子の恨みのためか、精神的苦しみからか、今までの黒髪が一夜にして老婆のような白髪に変わってしまいました。非常に悲しんだ局は小町神社の祭神の小町姫にお願いをして数日間祈願を続けたところ、不思議なことに、白髪がまた元のように黒髪に戻りました。それ以来小町神社には、絵馬をあげいろいろな願いを込めて参詣する女の人が多くなりました。
平成12年3月吉日
厚木らしさの創造推進事業玉川地区協議会
さて、本殿周りを歩くと、上手の壁にもう一枚、恐らくかつての看板とおぼしきモノが立てかけてありました。
小町神社縁起
この小町神社は、その昔鎌倉時代丹後の局という世にも希な美人がおり、密かに源頼朝のご寵愛を受け終に局は身ごもりました。これを知った夫人政子は大変嫉み、畠山重忠に局を由比ヶ浜で首をはねよと命じました。
重忠は家臣の本多次郎に命じ局を浜へ伴い殺そうとしましたが、局の身を哀れみ身代わりを立てその場を繕い、乳兄弟で小野の住人川上酒匂の屋敷にかくまい局を助けました。然し何時とは無くその事が政子の耳に入りその怒りは骨髄に徹する程厳しく、局は俄かに白髪の姿になってしまいました。局は心を静め考えた末「俤のかわらで年の積れかし、たとえ命に限りあるとも」という古歌を短冊に書き心身を清め十七日間一心に小町姫を祈った処、満願の日に元の黒髪に戻りました。局は霊験の尊さを感じ小野の林中に小町神社を建てました。
それ以後三十歳以下の男女で白髪の人が心厚く小町神社へ祈ると黒髪に変わり、遠方の人々も参詣に来る様になりました。その後局は泉州住吉で玉の様な男子を生みました。その子が後の薩摩の島津家の祖先だと人々は伝えています。
伝者 別当 小野山宮野院
勝手に行替えや変換をしてしまいましたが、内容は同じです。惟宗忠久の母が丹後局。忠久さんが島津莊を御恩されて島津氏初代となるわけですが、父親については諸説あるって状態です。頼朝の御落胤じゃないか?って人物は何人もいて、そのうちの一人。縁起を見ると御落胤説を採っている訳ですね。
出生地だから神社があるのか、御利益があったから神社ができたのか?色々疑問は浮かびます。説明の中に小野小町の存在感が薄いようだし。でも7不思議というモノがありまして、
①小町松=片葉の松
②小町池=小町の化粧池
③小町井戸=化粧井戸
④小町橋=竹橋
⑤小町竹=業平竹
⑥小町塚=小町墳墓
⑦小町海苔=小町渕の川海苔
これらの復元を行政でなくて地域の方で行ったと言うからすごい。
小町伝説は全国に広がっていて、出生地についても複数の地域が名乗りを上げている状態です。福島出身の私としては、福島県小野町の話がイチオシなのですが。
野鳥観察もしましたが、小野緑地内の多目的スペースで少年野球チームがガンガンに音楽を流しながら練習をしているため、ヒヨドリ中心にごくわずかって感じです。位置的に野鳥が来やすい場所だと思いますが、音楽ガンガンでは寄りつかないなぁ。