R246の脇にあって、昔っから気になっていた場所です。国道から見ていると3m程度の高さかなぁ、という印象でしたが、北側に回ってみると意外な高さでした。30年くらい前に1回来たはずなのですが、全く記憶にありません。探したら写真が出てくるかも知れませんが。
地名が下糟屋で、相模風土記に書いてあったから相模武士団の糟屋氏の館跡だと思って来ました。上杉館は産能大の方にGooglemapのマークがでてるし。
説明板を読むと、出土物が鎌倉~室町前期と室町後期~戦国の2つに分かれるそうで、鎌倉開幕期の糟屋有季館跡、太田道灌がいた上杉館のどちらも可能性があるという書き方です。断定していないのは正直ですね。↓ は残されている土塁
↓ 今は国道がまっすぐにカットしていますが、昔はくねっていました。東京方向の下り坂にてバイクでこけたことがあるので覚えています。
説明板情報で一番驚いたのは1km×数百mという城の規模です。隣の大学病院まで城の範囲だったとは・・・糟屋氏にしても上杉氏にしても、城跡というより、館跡だと思っていたので、ホントに意外でした。
丸山という名前も明治から登場するとのことで、神社の記録では千鳥ヶ城と。広い丘陵地に立てた城を離れて見たら鳥に見えたとか?・・・でも千鳥かぁ。周囲の田んぼや湿地にイカルチドリがたくさん生息していただけかも知れませんねぇ。
戦国期までが想定範囲で、障子堀なんて言葉が出てくると、北条氏の城なんじゃないかとか、妄想が色々と。
↑ 公園北口から少し歩いた場所に道しるべがありました。大山道と八王子道の交差点。矢倉沢往還の情報も説明板の地図にありました。国道がそのまま矢倉沢往還ではないのね。すぐにGooglemapで道を辿ってみましたが、実際に歩いてみたくなりました。伊勢原村の高札場跡も見つけたし、ちょっと深掘りしてみるのも良いかも知れません。
国道を渡ると渋田川の向こうに太田道灌のお墓とお寺があります。ご主人様の上杉定正によって入浴中に殺される話ですね。殺害現場は伊勢原市内の何処か、という所まで絞り込めていますが、不明であると説明板が言ってます。
まぁたくさん学べました。
季節は冬です。デジコンでよく撮れたなぁと。