丹沢山地to辺りde探検 byくさしなととろ

相模國酒馬間で探検しながらダイエットセラピー

築井城址本城曲輪

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城山ダムの南、津久井城です。でも石碑には築井城址と書いてあったので、そちらを尊重しました。説明板には

津久井城の築城は、鎌倉時代三浦半島一帯に勢力を誇っていた三浦氏の一族、津久井氏によると伝承されていますが、その詳細は明らかではありません。その痕跡が明らかになるのは、15世紀末頃です。戦国時代、小田原城を本城とした北条氏は16世紀中ごろまでには、相模・武蔵を領国とする戦国大名に発展しました。そしてこの広大な領国を経営し、敵勢力から守るため本城の下に支城を設け、支城領を単位とする支配体制を作りました。当時の津久井地域は甲斐国境に近く、領国経営上重視されており、津久井城(城主内藤氏)は有力支城のひとつとして重要な役割を果たしていました。天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原攻めの際、北条方の関東の諸城も前後して落城しました。津久井城も徳川勢の本多忠勝平岩親吉らに攻められ、落城したと伝えられます。落城の際に大規模な戦闘はなかったようです。落城後は徳川氏の直轄領になり麓に陣屋が置かれ、代官が政務を執っていました。陣屋は寛文4(1664)年に廃止され、そこで城山は地域統括拠点としての機能を終えることとなります。

とあります。

三浦系であれば、小学校の騎馬戦で登場した三浦大介義明。その弟の家系が「つくい氏」で京急津久井浜駅の「津久井」が元になっているはず。ココの地名はそこから?

三浦系津久井氏の築城説は根拠が薄いと書いている方もいますが・・・大江系津久井氏というのもあるようですね。何にしてもはっきりしてない。三浦と大江の二択なら大江かなぁと思いますが・・・だって三浦って海の武士団。流石にここまでは来ないんじゃ無いか?と。

城址を含む公園には遊具もあって遠足に良いかも知れない。

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山頂が本丸なので、そこを目指す訳ですが、「女坂は危険」と表示されていたので男坂へ。これがまた急で凸凹で・・・帰りが心配。降りられないんじゃないかしらん。

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堀切と引橋。尾根路になっているから横に落ちたらやだなぁ・・・で、道自体も切れているので1mくらい降りて登るのですが、そこも凸凹(T_T)

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ようやく到着。こりはもう、山登りです。パノラマビューではありませんが、木々の間から見える景色は良かったです。

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石の観察。こんこん石が多かったなぁ。泥岩?

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鳥の声は結構聞こえるのですが、あまり見つける事ができませんでした。

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飯縄曲輪とかへも行きたかったのですが、体力を考えて降りることにしました。男坂の急勾配に恐れをなして女坂で。だって膝が保ちませんよ。

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早蕨の握りこぶしをふりあげて山の横面はるかぜぞ吹く ワラビではないかな?

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タヒバリかと思いきや、目後ろに白斑があればビンズイだとか。言われてみれば、前回と色が違います。初見初撮り!!

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今年も桜を見ることができて良かった

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春ですね

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今度は飯縄曲輪にチャレンジしてみたいです。