三浦一族の真田与一義忠の居城。与一の郷づくり協議会さんが発行しているパンフレットには『館を構えた』と書いてあるので、築城者は真田義忠ということになるのでしょうか。真田と言っても信州真田は海野一族だったかで別系統というのが定説。
廃城時、小田原城を追われた大森氏が立て籠もって滅亡した、と云うのは新編相模風土記?記憶が曖昧ですが。廃城者は伊勢盛時ってことになるでしょうか。来年辺りに『新九郎、奔る!』に出てくるでしょうか??まぁ300年超えの歴史があると言っていいのかな?
昔はコンモリとした丘だったのですが、今や商業施設と住宅地です。でも、開発のお陰で大規模な発掘調査があって、痕跡は見られなくなっちゃいましたが、昔想定していたより規模の大きな城跡になっています。
与一公園が造られて、そちらから曲輪を見上げることが出来ます。
真田城の場所は天徳寺。早朝からウロウロ見学していると、御神輿の建物を開けた方がいらっしゃり御挨拶。お寺の朝は早いと聴いていますが、もしかしたらワザワザ開けて頂いたのかも知れませんm(_ _)m
御参りして、パンフレットを頂きました。
ここ天徳寺で、明治初期に真田学校が開かれて、現在平塚、伊勢原、秦野にある小学校のモトになったと書いてあります。
近くで鳥見もしました。芦原のギョクギョクの季節がやって来ました。そろそろ蛍の季節です。
先週、この地域の公共施設で撮らせてもらったコシアカツバメ。