くさしのととろ探検記

相模國酒馬間で探検しながらダイエットセラピー

東田原中丸遺跡

学祭へ行こうと思ったのですが、混んでるだろうからと中止して、混んでいそうもない場所は?と、どこに行くかを決めかねて彷徨っている内に到着しました。

説明板に

「東田原中丸遺跡は、神奈川県秦野盆地の北東の山から南に延びる標高約150mの舌状台地先端の緩やかな東斜面に位置してます。盆地内では数少ない水田が周辺に広がり、その水田に接するように建物群が造られています。
 ・・・中略・・・
平成12年9月から行われた調査では、鎌倉時代の領主の館跡とみられる遺構が発見されました。検出された遺構は、前後2期に分けることができると考えられています。
 ・・・中略・・・
鎌倉時代に財力や権力を有した人物ということとなると、幕府の御家人が考えられます。このことから、遺跡周辺での伝承もあり、当時の秦野地域の領主であった御家人、波多野氏がこの館に関わる人物として想定されています。」と書かれていました。

長い事「相模波多野城はどこ?」というロマン溢れる話題があったのですが、色々物証が出て来た事で、高確率でココなんじゃない?という流れなのでしょう。金剛寺や御首塚が近いってのも説得力があるように思いました。

やっぱり波多野城趾碑も見ておかないと、と云う事でテクテク移動してやって来ましたが、こうして間近に見るのは初めてだったりする訳です。周囲が私有地に囲まれている事も初めて知りました。

新編相模国風土記稿の記事からするとココらしく、永井路子さんの「相模のもののふたち」では賞賛されていたと記憶していますが、そういった情報を知るより先に発掘調査で物証が出なかった話を聞いてしまい、この場への興味があまりなかったのです。

じゃあ何処にあったのか?には食いつきまして、最初は弘法山辺りだと思ってたんですが、神奈川病院説を聞いて同調したり、と「邪馬台国はどこ?」と同様に結構楽しかったんですがね。

ココじゃないだろうと思った理由がコレなんですが・・・こうやって小学校側から眺めると城趾碑の方が低いんですね。矢が届いちゃうんじゃない?この距離は。

 

でも今回碑まで歩いてみて、自然観察には良い場所だと思いました。

 

帰り際にようやく富士山。手前の丘の先端辺りが田原城跡だと聞きました。