丹沢山地to辺りde探検 byくさしなととろ

相模國酒馬間で探検しながらダイエットセラピー

聖峰

ずっと行きたかった場所なのですが、蛭期には行けそうにないし、入口から坂が急でちょっとなぁ、と云うことで後回しにしてきました。歩いてみると良い道じゃん!という感じです。お堂のサイドに紅白の梅が咲いておりました・・・梅だよなぁ?

和歌山出身の僧が859年にやってきて、お不動さんをおまつりしたのが始まりだと説明板に書いてあります。1164年前の修験場と云うことらしいです。859年は貞観元年だそうですが、この情報だけでは時代がイメージできません。調べると、前年に清和天皇即位&摂政に藤原良房任官。5年後に富士山噴火、7年後(866年)に応天門の変。そんな時代に相州大住郡・・・当時は違うかな?のココで活動していた人の跡が残っているというのは凄いですね。

参道に並ぶ石像群に年号が刻まれていて、「文化」「天明」の文字が読み取れました。江戸後期に造ったものが並んでいる訳です。

 

 

 

 

「広角150°の眺望」は気持ちよいです。筑波山まで見えるそうですが、今日はガスっていてランドマークや湘南平でさえ「もわっ」としていました。これくらい見渡せると、比較して東京湾岸の空気の悪さが見て分かります。

登りはビビって女坂を使ったのですが、下りは「参道九十九曲」を使うことにしました。鳥見的には正解な道なのですが、体力的にはoutでした。逆に登りで使った方が恐くないです。降りる前は九十九もカーブがあるのか確かめてやろうと思っていましたが、私的にはそんな余裕はなく、足元と鳥に注意を向けたら、後何もできん・・・。

因みに、女坂の由来って女性が体力的に劣るってことなのかしらん?大抵は男坂より女坂の方が難易度が低いって認識ですが、例外はないのかなぁ?今日のは男坂という名称ではありませんでしたが、カーブが多い分女坂より傾斜がきつくなく、登りは楽な感じはするんだけどなぁ。狭いからどっちもどっちかなぁ?

女坂は女人禁制とかあったから、そこに因むとか?そもそもいつ頃からできたモンなのでしょうね?近隣の大山参りなんて江戸時代からの観光地ですが、その頃の観光って女性も行けたのかしらん?時代劇には女性旅も出て来てますが、史実と劇は違うもんね。時代考証を目一杯やった時代劇を一度見てみたいモノです。