緑区です。津久井湖と相模湖の間にあるダム湖で、最近まで知りませんでした。このダムの直下で道志川が合流しています。
上で撮影していたのですが、たまたま点検に来られていた職員の方のご厚意で柵の中に入れていただけました。希有な体験が出来ました。有難うございました。
川匂神社に続いて式内十三社。5月の国府祭で仲裁役をする比々多神社です。相武国と師長国の仲裁かぁ。一体どんな立場だったのでしょうか?
主祭神は豊斟渟尊。天地開闢で3番目に生まれた神様。三宮と関係あるのかしらん?
神社裏に東名高速道路建設時に発掘された遺跡が移設されております。ストーンサークルはどれだ?
少し離れてらちめん古墳
古代だけでなく、近代も。西南戦争関係です。
裏山を登ると元社が鎮座しております。眺めがとても良いです。
鳥も
草野心平の詩を思い出します。ほっ。
今日のトコロはもう春ですね。上着を脱いで歩き回りました。花粉も結構飛んでいる様子です。目が痒くて痒くて・・・でも消毒してない手で擦ってはマズいじゃないですか。目は粘膜。感染経路ですよ!花粉のせいで第4波ってあるような気がします。早いところお薬を作ってもらわないとね。早く非常事態でなくなりますように。
初詣です。初めて訪れる神社という意味でも初詣なのですが、旧暦の元日なので初詣です。今日から1月、春ですな。
で、ここにしたのには一応理由がありまして、延喜式内十三社の1つですし、何と言っても師長国のトップ神社だったと云うし。居住地が師長国に当たるので、やはり一度はご挨拶に行かねば!
川匂神社のHPから主な内容を抜粋させていただくと
相模国の二之宮で古くから二宮大明神又は二宮明神社と称し、延喜式式内社(『延喜式』の延喜式神名帳に所載された)相模国13社の中の名社。
創建は、第11代垂仁天皇の時代(約2000年前)、磯長国造・阿屋葉造という人が勅命により、磯長国鎮護の為創祀。
日本武尊が東征途中に奉幣祈願。第19代允恭天皇皇妃の衣通姫命(そとほりひめのみこと)安産祈願。源頼朝が安産祈願の為神馬を奉納。小田原北条氏より鬼門守護社として崇敬された。徳川家康から御朱印地五十石を与えられた。
詳細についてはリンクを貼っておきますので、ご覧くださいませ。
御祭神 御由緒 社蔵宝物 相模國二之宮 川勾神社(延喜式式内社 相模国二之宮 川勾神社)
ご祭神の中で級津彦命、級津姫命の二柱ですが、日本書紀の国生みの次の場面で
「・・・級長戸辺命という。別名を級長津彦命という。」(『日本書紀(上)全現代語訳』宇治谷孟 講談社学術文庫より)
と男神は登場します。この場面では「一書に云う・・・」が六つあり、その内の一つに記述されている形です。級津姫命は書紀に記載はありませんが、二柱で風の神として祀られている神社がいくつかあって、元寇の神風伝説にも関わりがあるようです。
神社の説明板には、級津彦命と級津姫命が師長国を御開拓された、と。そう言えば名前似てるなぁ。シナツヒコ、シナツヒメ、シナガノクニ。さぁ、妄想古代史の始まりです。
茅葺きの神門の両側に神様の像が見えます。櫛磐間戸命、豊磐間戸命と札に書いてありました。天孫降臨の際に登場する神様と云うことですが、書記には出てきませんでした。平安末期のつくりで、県内最古の木造だそうですよ。
鳥居から右手に農道が延びておりまして、ウッドノートに誘われるままに歩いて行くと結構鳥見ができそうな場所がありました。
元日なので、一富士です。
県道64号線を南下して宮ヶ瀬湖へ。春ノ木丸ハイキングコースへ行こうと思いまして・・・
階段の高さに限界を感じまして、途中で湖の方へと変更しました。下りたところで及沢ビオトープ発見。
これがナカナカよい探鳥地ですね。川、湿地、林、草原、山と場面の豊富さは一番かも知れません。
イソシギですね。宮ヶ瀬では初見かなぁ。
初撮り以前に初見ですね。漫画「ウッドノート」で名前は幼少の頃から知っていましたが、見たこと無かったなぁ。
県道64号って制限速度30km表示が多いのですが・・・制限速度守ってると煽られちゃいます。それが大型車の場合もあります。威嚇しないトラックもいますが、速度を上げても煽ってくるトラックがいます。63号も急いでいるトラックが多かったなぁ。