丹沢山地to辺りde探検 byくさしなととろ

相模國酒馬間で探検しながらダイエットセラピー

小野神社

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鳥居脇に説明板がありました。以下説明板から

小野神社

 この神社は、延長五年(927)の「延喜式」巻九に「相模国式内社の内愛甲郡一座小野神社」と書かれています。

(中略)

「新編相模国風土記稿」に「閑香明神社、村の鎮守なり。延喜式に載りし小野神社、当国十三社の一にて祭神下春命という」とあります。

 明治時代になってから、この神社の祭神には日本武尊も加えられました。それは日本武尊が東国の賊の征伐に向かった際、野火の焼き討ちの苦難にあうという「古事記」の記述の地が「小野」と関係するとして祭神に加えたもののようです。

 この神社は建久五年(1194)愛甲三郎によって再興されたとも言われています。愛甲氏の本家の横山氏は、小野妹子の子孫と伝えられ、愛甲氏の家系の信仰は厚く、特に江戸時代には、愛甲姓の武将の参詣が記録されています。

  平成十二年三月吉日

厚木らしさの創造推進事業玉川地区協議会

 

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ヤマトタケルの野火といえば、相模国のリーダーにだまし討ちされそうな所を剣のおかげで逆転勝利を収める、草薙剣の話と記憶しております。小野は結構古くからの地名なのでしょう。

愛甲一族は小野姓だったのね。でも延喜式に書いてあるんだから、愛甲さんが入所する前から小野神社ですよね。江戸時代の記録では閑香明神社。「閑香」をググると中京のお店がヒットしました。かんか、しずか、の読みで出てきます。「閑香」と書いて「アヰコウ」と読んでいたとの記事もありましたが、確かめてはいません。市史を見たら出てるかな?

下春命は書紀に出てきた記憶はないので、地元神かな?と思って、愛甲郡の下流域の河原で下原から下春?とか想像していたのですが、『旧事本紀』に登場する天つ神でした。オモイカネ神の子、秩父国造の先祖であると。開墾の神様だそうで、武蔵国のいくつかの小野神社でも祀られているそうです。

秩父と言えば秩父平氏。愛甲氏は横山党と書いてあったので、残念ながらそこはつながりませんでした。武蔵国の小野神社と横山党の支配地はつながるかなぁ?小野妹子小野小町はつながるのかしらん?

 

今日は復興祈願でやって来たのですが、我々は賊ですかぁ・・・でもまぁ何度も再建を繰り返している神社なので、御利益はあるのではないかと。

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古いものがちゃんと残されています。上の写真の道路際にあるのはお墓でした。首無し地蔵や馬頭観音もありました。

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境内社が下の建物です。

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中央扉の額が下の写真ですが、ひょっとして真ん中の神様は「あらはばき神社」と読めるのではないでしょうか?

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アラハバキ神を祀っている所だとしたら初めて見ました。いや、意識していなかっただけかも知れませんが、初認識でしょう。『東日流外三郡誌』(今や書名を読める人はいない?)に夢中になっていた時期がありました。NHK大河『炎立つ』でも登場しました。謎の土着神「アラハバキの神」です。いやぁ発見発見。久しぶりにドキドキしてしまいました。