山中城といえば北条氏の伊豆のお城が真っ先に浮かぶのですが、こちらは江戸時代のもので、看板などには「山中陣屋跡」とあります。でも石碑にでっかく「山中城趾」って書いてあったらタイトルが城になるのも仕方が無いのでは?と。
荻野山中藩庁跡になります。解説板を読んで、藩主が大久保さんなら小田原の支藩になるのかなぁと思ったのですが。でも小田原城主って、ずっと大久保さんだったワケではないはずなので・・・??位置づけがどうなっていたかは調べてみないと分かりません。
周囲より高い土地で、南側に小鮎川っていう辺りは今までの城跡と一緒かなぁ。川の向こうにはここより高い台地があったりしますが、出来たのが天明期だものね、もうすぐ幕末って時期なので、軍事的便利さよりは政治的便利さと云うことなのでしょうかね?
稲荷社には古い石が残っていました。大手門の方にも行ってみれば良かったなぁ。
戊辰戦争って鳥羽伏見戦からスタートするのですが、その前に幕府サイドによる江戸薩摩藩邸焼き討ちがあって、その焼き討ちの原因は薩摩藩士による挑発行為であると。
挑発行為の一部として山中陣屋が焼き討ちに遭っていると書かれていました。今までは江戸の中でごちゃごちゃやっているイメージだったのですが、違ったんですねぇ。江戸からわざわざこんな田舎まで遠征してきて、陣屋を焼いて、その上周辺の一般ピーポーを襲って・・・